ワンルームの話

災害の多い今日この頃、ふと自分の家が壊れたり浸水して、家にあるモノたちについて考えた。私の家はものに溢れている。引越しの時、単身者用のトラックには全然治らない。服も本も食器も、とにかくいろんなものがある。

 

当たり前だけど、私の部屋には、私がいつの日か選んだもの、もしくは人からもらったものしかない。上京するときに、購入した家具の中には、私の大切なものだけが入っている。ベットの横にある本棚には、私が何度も読んだ漫画と、小説、建築に入って読み始めたいろんな本が並んでいる。本の形で持っていたくて、webで読んだのにわざわざ買ったものもある。季節ごとに総入れ替えする洋服たちは、高校生から着ているお気に入りもあるし、この間の誕生日に買ってもらった新しい服もある。高校を卒業して初めて買ったピアスもある。お茶のお稽古を始めたから、おばあちゃんに借りている着物もたくさんある。食器は、実家にあるもののうち好きなものを選んで持ってきた分と、旅行先で少しずつ買い集めたものだ。友達に書いてもらった絵を額に入れて飾っているものもあるし、小学生からシリーズで集めている干支の置物もある。

 

一つひとつ、選んだ時のことを思い出せる。なんでもデバイスに、持ち物は少なくミニマムにという時代。モノがなくすっきりした身軽な部屋も憧れるけど、そうなることはないんだろうなと思う。つくづく、シンプルからは遠く、興味は散漫で、部屋には生き方が出てしまうなあ。友達の部屋に行ってその人らしくないことなんてないような気がする。人生変えたくなったら部屋を変えようと思う。

 

スッとしてないし、統一感がある訳でもないし、そんなにお洒落な部屋って訳でもないけど、今はここが私の大切なお城だ。人生のかけらを閉じ込めたものたちへの愛が止まらない。ほこり払ってなくてごめん、年末にはきっと掃除をしよう。

 

震災の時、いろいろ不安なことについて思っているうちに、まだ一度も来ていない高校の制服が無事かどうかが気になっていた車内泊の一日のことを思い出した。